よくあるちょっとした「癖」の裏に隠された心理

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ちょっとした自分の癖の裏にある心理

 

誰しも何かしらの「癖」というのを持っています。「癖」は無意識下で起こる習慣的な行動で、「癖」は深層心理の現れとも言われており、自分でも気づかない事が多いのが特徴です。

 

誰にでもある、いくつかの「癖」を例に挙げて、深層心理を探っていきます。

 

 

つい鏡をチラ見てしまうワケ

 

朝の身だしなみの時やトイレ時の手洗いなどの時とは別に、何気に鏡の前を通ると、つい「チラ見」してしまう事ってあるのではないでしょうか。中には鏡でなくとも、写るものであれば見てしまうという人もいるはずです。

 

この「つい鏡を見てしまう習慣」、決してナルシストだからというだけではないのです。では一体なぜこんな事をしてしまうのでしょうか。

 

この鏡の中に自分の姿を映して見る行動は、それが唯一の心の栄養源となっているからです。つまり自分の姿を見る事は、自我への栄養補給となっているのです。

 

人は内面的に価値あるものがあったとしても、それが十分ではないと感じると、外面的な価値に慰めを求めようとします。なぜなら外面的な価値があって初めて他人から尊敬されたり、褒められたりすると思い込んでいるからです。また見た目が良ければ良いほど、人間として価値があると信じ込んでいるからです。

 

鏡に映る自分を見るのは自分の心を確認している

 

自己イメージが良くないと、自分の存在意義を段々と見失っていきます。そこで「自分は確かに存在している」という安心感が欲しくて、鏡に自分を映し出すのです。その時、鏡に映し出された自分と、頭の中にある自分とが重なりあわずに、ガッカリするなんてこともあります。

 

鏡の前で「にっこり」したり、あるいは話しかけたりという事をするのは、自分の気持ちを確認するための行為であり、鏡は普段から自分の気持ちを量る物差しとして、無意識に活用しているのです。

 

自分に自信がない人ほど鏡をよく見る

 

つい鏡をチラ見をしてしまうという人は、普段から自分を責めたり、自分を否定したり、周囲を気にしたりと、自分に自信がない人ほどよく行っています。

 

自分の気持ちを自由にしてあげるには、自分の感情を受け入れ、ただひたすら向き合っていくしかありません。自分の気持ちを素直に感じ取れるようになれば、自分の心を見るために鏡をチェックするという必要もなくなります。

 

一人の時にテレビやラジオをつけずにはいられないワケ

 

家に帰るなり、すぐにTVやらラジオをつけてしまう。またシャワーを浴びていようと、本を読んでいようと、電話をしていようと、夕飯の支度をしていようと、とにかく「何かしらの雑音が無いと落ち着けない」という人がいます。

 

こうした行動を取る人は、一人になった時に自分の悩みや不安、寂しさ、心配事など、自分の中にある様々な事に向き合って、考えこんでしまうのを避けるために取っている行動なのです。

 

何かしらの気がまぎれる事がないと、心が押しつぶされそうになります。それを回避するためのものなのです。

 

激しい反動作用がある事もある

 

こうした反応に伴う行動として、一方的な会話をしやすいというのがあります。「とにかく一通りしゃべり終わるまで口を挟まれたくない」という意識です。これは一人でいる時の自分の考えを頭から追い出すための、「はけ口」のようなものであり、人に悩みを打ち明けて、胸のつかえがとれるのと同じことです。

 

コミュニケーションが下手な人に多い

 

またこのような人はコミュニケーションが下手な傾向があり、自分の考えを上手く人に伝えられません。だからたまにしゃべる相手がいる時には弾丸トークとなってしまうのです。

 

コミュニケーションの基本は会話ですが、効果的なコミュニケーションを築くには、一方的にしゃべるのではなく「聴き手上手」になることです。

 

雑音に頼らないためには、もっと人と交わる機会を増やしていくしかありません。

 

簡単なことを決めるのに時間がかかるワケ

 

「何を着よう」「何を食べよう」「何を観よう」など、日常の小さな選択でさえ非常に悩み、決められないという人がいます。単に「優柔不断」と一言で片づけてしまえばそれまでなのですが、優柔不断になるのにも原因があるのです。

 

「これまでの自分の判断ミスに嫌気がさしてしまった」「いつまでも過去の失敗を悔やむ」「自分の判断に確信が持てなくなった」など、過去の失敗経験がトラウマレベルになってしまうと、自分で責任を持つのも怖くなり、次第に何もかも決められなくなる「決断恐怖症」となってしまうのです。

 

自覚しやすいので自分で改善できる

 

まず自分では決められないのですから、「些細な事なら決める事を委ねる」という方法です。例えば「どちらにしようかな」とか「コインの裏表で決める」とかです。初めのうちはこれらの方法でも迷いが残りますが、辛抱強く実行していく事で、次第に「自分で決めたい」という気持ちにくなってくるはずです。

 

またもう一つの方法として、過去のトラウマが引き金となっているのですから、それらの気持ちと向き合う事です。過去の失敗経験は必ずしもトラウマだけでなく、今の自分にとっては良い経験になっている事もあるはずです。それらを一つずつ思い出して書き出してみましょう。

 

最後にもう一つの方法としては、あえて「間違った決断をしていく」という荒療治もあります。自分の気持ちとは明らかに違う決断をしていく事で、そのギャップから「自分で決めていきたい」という気持ちになっていきます。

 

 

噂話が好きでたまらないワケ

 

誰でもうわさ話や陰口をしたことはあります。それで気晴らしになる事もあるでしょう。しかし中には度が過ぎて、噂話を生きがいにしてしまう人もいます。

 

絶えず人のうわさ話が好きな人というのは、人の悪事をウワサ話する事で、自分の方が優れている、自分は何でも知っているといった優越感に浸りたかったり、逆に自分の危うい部分に、目を向けないようにしたいという心理が働いています。

 

また自分に対してのマイナス感情を強く持っている人は、その重圧から逃れるために、他人の悪口を言う事で発散させています。人の悪口をよくいう人は「劣等感の塊」とも言えます。

 

噂話が好きな人というのは、中々自覚症状がないのですが、もし自覚症状がある場合には、まず自分への劣等感と向き合うために、「過去のイヤな事」を紙に書き出して、気持ちを整理していきましょう。また興味の中心を世間的なものから、高尚なものへと切り替えていき、自制する訓練をしていく事で、次第に人の事が気にならなくなります。

 

人の秘密や告白を聞くのが楽しいワケ

 

通りがかりで誰かの会話に聞き耳を立てたり、他人をじっと観察してみたり、誰かの秘密を知ってしまったりした時、つい心がワクワクしてしまうという経験は、誰しもがある事だと思います。他人の生活の些細な事に時々興味が湧くというのは、人間であれば自然な事です。

 

ただこれが度が過ぎて、他の何よりも無我夢中になってしまうと、別の理由が考えられます。

 

人の秘密を知ると安心する

 

人は他人の生活の断片を見ていると、「自分だけが特異な癖や精神的な傾向、後悔、不安、問題などを抱えているわけではない」とわかり安心します。人は陰の部分があるのは自分だけではないという事を知ると、自分の衝動や思い込みについて、以前よりも悲観しなくて済むようになるのです。

 

度が過ぎる人は不安感が強く好奇心も比例する

 

度が過ぎてしまう人は、通常の人よりも自分に対する不安感が強いため、他人の不幸な情報をどんどん取り入れ、自分の不安を取り除こうとしているのです。また不安は「好奇心」を増長させるので、自分でも中々止められない傾向があります。

 

噂話が好きな人と同じで、自覚症状がない人が多いのですが、自分の趣味を充実させる事で、他人の事から興味を遠ざける事が出来たり、またボランティアなどを通して、他人への思いやりの気持ちを育てていく事で、人への不幸を望まなくなります。

 

お腹が空いているわけでもないのについ食べるワケ

 

特別、お腹が空いているわけでも無いのに、ついいつも何かを食べてしまう、またそれが習慣化してしまっているという方がいます。

 

何かを食べるという行動の基本は、「お腹が空くから」であり本能でもあります。しかし人は空腹以外にも、「憂うつ、退屈、孤独、空虚感の充足、自己破壊、怒り、不安、罪悪感、怖れ、楽しみ」などといった・・・様々な理由で食べることがあります。

 

この空腹でもないのに食べるという行動は、「自意識」を眠らせる必要があるためなのです。人はストレスを受け続けていると、逃避したいという欲求に駆られます。それが空想や夢にすがったり、運動や散歩といったいわゆる気晴らしです。

 

しかしストレスが強いと思考もマイナスとなり、それでは十分な気晴らしも得られないため、ストレスを感じないように知覚を鈍らせていく手段を取り始めます。それが楽な手段であるドラッグやアルコール、食べるといった方法です。

 

食べて気分転換は理にかなっている

 

実は食べる事で気分転換をするのは、理にかなった行動なのです。「食べるとおいしい、楽しいといった気持ちになる」「満腹中枢を刺激するため」「「何か」得た気分になる」「物理的に気がまぎれる」「すぐに満足できる」といった気持ちを得られるからです。

 

しかし限度を超えてしまうと、深刻な「過食症」となってしまいます。もし「自分は過食だ」という自覚がある場合には、一刻も早く専門の機関へ行くべきです。

 


 

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