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なぜ虐待は起こってしまうのか?

 

近年、「泣き止まない子供に腹を立て、何度も叩いたり蹴ったりして死なせた」「何日も食べ物を与えず餓死させた」などの幼児虐待・児童虐待のニュースをよく目にします。幼児虐待・児童虐待が「悪い事」として問題視されるようになったのは、今からわずか50年ほど前の事で、以前は「躾」という括りで済まされてきていました。

 

現在では虐待は「身体的虐待、育児放棄(ネグレクト)、心理的虐待、性的虐待」の4つに分類されており、それぞれに虐待が起きる原因が研究されています。

 

一般的に多くの人が「実の子になぜ?」と感じる虐待ですが、そこには様々な無意識の欲求や不安が働いています。

 

 

抑えられない支配欲求を満たす相手

 

人には、人を支配したいという「支配欲求」があり、誰もが持っています。「誰かを自分に服従させ思い通りにしたい」、そしてそういう存在を手に入れたいと、深層心理では思っているんです。

 

その欲求が何かの拍子に表に出てきて、自分で抑えきれなくなってくると、その対象として身近な存在である、自分では何もできない我が子を選ぶようになります。

 

こうした欲求の抑えがきかなくなるのは、本人が抱える「ストレスの解消の手段」が、支配欲求に進んでしまったためです。服従させることや支配するという事は、自分自身の無力感を払拭する事になり、結果的にストレスが解消するんです。

 

親は自分の欲求が満たされることが目的なので、子供が意に沿わない反応をすれば、容赦なく体罰を加えます。しかしその時の子供の気持ちや痛み、戸惑いなどは一切わかりませんし感じません。さらにそこには「躾」という意識のオブラートがかかっているので、罪悪感は余計に起こりにくいのです。

 

過去のトラウマが負の連鎖を作る

 

人というのは過去の体験が、良くも悪くも現在の自分に大きな影響を与え、また行動を伴います。虐待された子供の親も、子供時代に虐待を受けてきた経験があるというのはよくきく話です。

 

自分という存在を無条件に受容されずに育った、伸び伸びとさせてもらえずに成長した、虐待を受けたなど、過去に自分が味わわされた屈辱や苦しみを受けてきた人というのは、トラウマとして心に深く傷が残っています。

 

そしてそのトラウマをどうにかしたくて、どこかで「復讐したい」という欲求が生まれます。そうした欲求が自分の子供に向けられ、自分が受けたのと同じような接し方を「無意識のうちに我が子に対してもしてしまう」という事があるのです。

 

復讐したいという欲求は、自分の親に向けられることもありますが、多くは自分の子供や再婚相手の連れ子に向けられます。理由は簡単で「自分よりも弱い」からです。

 

全ての人が負の連鎖を引きずるわけではない

もちろん、自分が虐待を受けたからといって、同じように子供に虐待をする人ばかりではありません。自分が味わった苦しみを、同じように味わわせないようにと、大事に子育てをする人もいます。

 

この両者の違いには、心の傷の度合いや持っている性格、心の成長していく過程によって、大きく変化していきます。

 

 

虐待の多くは自分のストレス解消のはけ口

 

虐待が見つかったケースには夫婦の中が上手くいっていないとか、仕事が見つからずにイライラしていた、子供がいう事を聞かないからなど様々な理由がありますが、多くの場合、自分の溜まっているストレスを解消したいという欲求が強くあって、そのはけ口として、最も身近にいて、抵抗のできない子供を選んでしまったという事がほとんどです。

 

子供は幼くても、一個の人格を持っているので、本来、親の思い通りになる存在ではありません。ですから時に不快感や怒り、敵意を感じる事は、親子であっても珍しい事ではありません。しかしそれが余裕のない精神状態であったり、大人や親としての持つべき心を持てなかった場合、先ほどもお伝えした「支配欲求」という形に変わり、虐待へと変貌してしまいます。

 

虐待は誰にでも起こりうる

 

ストレスやトラウマ、余裕のない精神状態というのは、誰もが抱えていたり経験したりするもので、それらの不満や欲求は、人それぞれ様々な形に変えて出ています。虐待というのはたまたま、虐待という形で出てしまったわけであり、一部の特異なケースというよりも、多くの人に共通する「負」の可能性といえ、誰にでも起こりうる事なのです。

 

「虐待は悪い事」という認識は、虐待をしている加害者も含め、多くの人が分かっています。しかし悪いと分かっていてもやってしまうのには、「躾」という括りが非常に曖昧である事や、自分の衝動を止められないという大人達が増えているという問題も複雑に絡んでいます。

 


 

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